2005-08

佐々木主浩引退

プロ野球、横浜ベイスターズ佐々木主浩 投手が9日、引退登板した。

異例のシーズン途中での事実上の引退試合だったので、牛島監督の懐の深さを感じつつも、今年は諦めたのかとも思った。優勝は無理としても、Aクラスはまだまだ十分か可能な位置につけていただけに意外でした。当然、ハマスタで引退試合と思っていたわけです。
'98年の、横浜ベイスターズ38年ぶりの優勝の立役者で、優勝達成後、大リーグ・シアトルマリナーズに移籍し129セーブを上げるも、'03年から不振が続き、日本球界に復帰するものの、故障、不振からの完全復活は果たせず、横浜のクローザーを進境著しいクルーンに譲り、引退を決意。
全盛期には、150Km/h代のストレートと130km/h代後半のフォークボールを投げ、特にフォークボールはスピードもさることながら、その驚異的な落差から「魔球」とも呼ばれた。
'98年、優勝の年には、51試合、56イニングス登板しながら、防御率0.64は驚異的な数字を残す。
当時、豊富な中継ぎ陣とも相まって、対戦チームからは「7回までにリードしないと勝機はない」とまで言わしめた完ぺきなクローザーでした。
引退登板をテレビで見ましたが、豪快なフォームも影を潜め、球速も130km/h代後半が精一杯といった感じでした。でも、横浜が優勝したときのセットアッパーってそんな感じだったような気がするんですけどね。一時代を築いたクローザーが中継ぎ転向もプライドが許さないか。それとも、故障の影響か、気力の衰えか。どちらにしろ、ファンのわがままからなんですけど、年棒下げてでも、中継ぎ転向してでも現役を続けて欲しかったなあ。
もともと故障がちな選手ではありましたが、頑丈な身体のおかげで早期復帰を成し遂げてきました。ただ、そのときにきっちりと身体のケアをしておけば、もう少し選手寿命が伸びたのではないかとの思いはありますが・・・。弱小チームの事情が許さなかったこともあるんでしょうね。
プライベートの部分でも、新聞、雑誌を賑わせてきた選手でした。これからも色々あると思うがガンバレ。

ところで、引退セレモニーはハマスタでやるんだろうな。今年のハマスタ最終試合の外野席は無料になるんだろうか。どうなの、ベイスターズ。

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