罰するんじゃなくて救えよ

まーさぁ、最近の政治献金規制法のザル法っぷりを一例に挙げても、法律が正義とは思わないけどさぁ。

川崎市中1少年殺害事件で、また、インターネット・ユーザーが、逮捕前から裏づけも取らずに、容疑者や家族の顔写真や個人情報を特定して拡散していたもよう。
さらには、親も厳罰に処すべき、被害少年と同様に私刑を、なんて書きこみまでされてる。
もうね、ガッカリな気分にしかならない。

先にも書いた通り、法律=正義とは思わないけど、法治国家で何を言っているのか、さっぱり分からないのです。
大体、容疑者や家族の個人情報を拡散するなんてことは、すでに私刑なのではないかと思うのです。
万一、不起訴になった場合、誰にも責任が取れないんですよ。

拡散すべきことがあるとするならば、量刑が出たときに軽すぎないか重過ぎないか、防ぐためにはどうしたら良かったかなどという提案であるべき。
それは世論という力となって、法律や自治体の少年保護の体制が見直されるかも知れない。

まぁ、こうしていれば防げたはず→コイツの責任だ、罰するべきという論調になりがちなのが、また、ガッカリさせられるわけだけど。

とういかさあ、もちろん実行犯が悪いのは分かってるけど、ホントにガッカリするのは、コイツの責任だ、アイツが悪い、責任取らせろ、厳罰に処せって罰することばかり拡散してて、被害少年が「殺されるかもしれない」とネットに書き込んだときには、拡散しないんだよな。
「殺されるかもしれない」と書き込んだ少年がいることを拡散していれば何かが変わったかもしれないのに。
罰することばかりに躍起になってないで、救うことにインターネットの力を使うべきなんじゃないだろうか。


20年ほど前、インターネットが普及し始めたころ、これで大きく社会が変わるかも知れないと思ったけど、いや、まぁ、大きく変わったのかも知れないけど、人間の下世話さが拡大して見える社会になってしまったような気もする。


まぁ、あれだけ「We Are the World」が流行ったのに、30年経ったら無くなるどころか、深刻さを増している民族差別。
音楽の力同様、インターネットの力も、信ずるに値せず・・・、かな。
所詮は人間のやること。


この中で、少年の「殺されるかも知れない」とのメッセージを拡散した者のみ、この女に石を投げなさい

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