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プレイバック

フィリップ・マーロウ物からの引用もコレで3回目ですが、今回はちょっと見解のようなものも併せて書いてみようと思います。これまで、おこがましくて引用だけにしていたのですが。

プレイバック ハヤカワ・ミステリ文庫レイモンド・チャンドラー 清水俊二訳

「あんたは強いのよ。だれにも負けないのよ」と、彼女は苦々しくいった。「このベッドでかまわないわ。いま服をぬぐの?」
 私は彼女のそばへ行って、肩をつかんで立ちあがらせ、からだをゆすぶった。「冗談をいっているときじゃないよ、ベティ。ぼくが君の美しい、白いからだを求めるときは、君がぼくの依頼人でないときだ。ぼくは君がなにを怖れているのかを知りたいんだ。事情がわからないで、どんなことができる。話してくれることができるのは君だけだ」
 彼女は私の腕のなかですすり泣きをはじめた。
 女の防禦の武器はわずかしかない。しかし、そのわずかな武器ですばらしい効果をあげるのだ。
 私は彼女をかたく抱きしめた。「いくらでも泣くがいい、ベティ。なっとくがゆくまで泣くんだ。ぼくが-ぼくがもし-」
 そこまでしかいえなかった。彼女はからだをふるわせて、私にしがみついた。顔をあげて、私の顔を唇と唇が合うところまでひきよせた。
「ほかにだれか女がいるの?」と、彼女は私の歯のあいだから低い声で訊いた。
「いたこともある」
「特別な女のひとよ」
「一度いた。わずかのあいだだった。しかし、もうずっとむかしのことだ」
「もっと抱いて。私はあんたのものよ-どこからどこまであんたのものよ」

訳者の清水俊二先生はあとがきで、フランク・マックシェインの「レイモンド・チャンドラーの生涯」という評伝を紹介している。

 マックシェインはさらに、セックスに対する態度がいままでの作品とたいそうちがっていることに注目している。たしかに、これほどセックスがえがかれているチャンドラーの作品はいままでになかった。第五章では、マーロウは彼が護衛することになっている女性とセックスを行い、第十三章では彼を雇っている人間の秘書とベッドにもぐりこむ。そして、この場面はどっちもストーリーを発展させる上で重要な役割を果たしているとは思えない。
 ラスト・シーン、パリにいるリンダ・ローリングからマーロウに電話がかかり、結婚したい、とうちあける思いがけない結末についても、マックシェインは意見をのべている。
 とにかく、『プレイバック』を”謎をひめた作品”と考えているのはぼくだけではないようだ。チャンドラーの作品の中では、とくべつの地位を占めているものといっていい。

と、あとがきを締めくくっている。
上記の引用のように、マーロウは、探偵としての職業意識として「依頼人とは寝ない」と言ってはいますが、その言葉のすぐあとに女の涙に負けて口づけします。そして、何かを言いかけますが、女に「ほかにだれか女がいるの?」と看破され、リンダ・ローリングを思い浮かべています。リンダ・ローリングは 4月10日 に引用してますが、長いお別れ で、一度だけベッドをともにした、父親が権力者の富豪の女性です。
事件が解決し、ロサンゼルスに戻ったマーロウへ電話が入ります。

「リンダよ。リンダ・ローリングよ。私をおぼえていらっしゃるでしょ」
「忘れられるはずはない」
「どう、元気?」
「つかれてる-いつものとおりだ。しんがつかれた事件からやっと解放されたところだ。君はどうしている」
「さびしいのよ。あなたに会いたいの。忘れようとつとめたんだけど、どうしても忘れられないの。あのときは楽しかったわ」
「一年半も前のことだ。それに、たった一晩だった。ぼくはなんと答えればいいんだ」
「私はずっとあなたに忠実だったわ。なぜだか、わからないのよ。世間にはいくらでも男がいるわ。でも、ずっとあなたに忠実だったのよ」
「ぼくは君に忠実ではなかったよ、リンダ。二度と君に会うことがあるとは思っていなかった。ぼくが忠実であることを君が期待しているとは知らなかった」
「そんなこと、期待していなかったわ。いまだって期待してないわ。あなたは半年続かないっていったわ。でも、なぜ試してみないの。だれにだって、わかりゃしないわ-永久に続くかもしれないわ。私、あなたにお願いしてるのよ。好きな男を自分のものにするには、女はどんなことをすればいいの?」
「ぼくにはわからない。女はどうしてある男を求めているということがわかるんだ。それさえ、ぼくにはわからない。われわれはちがう世界に住んでいる。君はぜいたくに甘やかされることになれている金持の女だ。ぼくはつかれきって、これからさきどうなるかわからない三文探偵だ。だいいち、君のお父さんがぼくの未来を抹殺してしまう」
「あなたは父を怖がってないわ。だれも怖がってなんかいないわ。ただ、結婚を怖がっているのよ。父はどんな人間でも見ればわかるのよ。ねえ、おねがい。おねがいよ。リッツにいるのよ。すぐ飛行機の切符を送るわ」
 私は笑った。「ぼくに飛行機の切符を送るって? ぼくをどんな人間だと思ってるんだ。飛行機の切符なら、ぼくが君に送る。だいいち、ぼくの方から送れば、君が考えなおす時間ができる」
「でも、あなたに飛行機の切符を送っていただく必要はないのよ。私は-」
「わかってるよ。君は飛行機の切符を五百枚買う金を持っている。だが、これはぼくが買うべき切符だ、ぼくの切符がいやなら、来ないでくれ」
「行くわよ。行くわ。あなたの腕に私を抱いて。私をしっかり抱いてちょうだい。あなたを私だけのものにするつもりじゃないのよ。だれだって、あなたを一人じめにすることはできないわ。私はただ、あなたを愛したいだけよ」
「ぼくはここにいるよ。いつもここにいる」
「あなたの腕に私を抱いて」
 受話器をかける音がかちりと鳴り、じじじという音がして、接続が切れた。
 私は飲物に手をのばした。空虚な部屋を見まわした-いや、もう空虚ではなかった。声が聞こえていた。そして、背が高く、すらりとした、愛らしい女。寝室の枕の上に黒い髪がながれていた。やわらかい唇で接吻をもとめ、眼をなかばとじて、からだをぴったり押しつけてくる女のやわらかく、こころよい匂いがあった。

ユニバーサル映画のために書いた脚本をもとにして書かれたと、あとがきにありますが、この作品はハリウッド映画らしくラブストーリーを意識されたものなのかも知れません。
ベティには「もうずっとむかしのことだ」と言っていますが、一年半前のできごとだとマーロウは言っています。
作品の最後で、マーロウは依頼人からの電話を受けますが、悪態をついて電話を切ります。

 私が電話を切ったとき、頸をしめられるような罵声が聞こえていた。一秒とたたないうちに、電話がまた鳴り始めた。
 私の耳にはほとんど聞こえなかった。部屋のなかに音楽がみちみちていた。

物語はこのように締めくくられます。リンダからの電話を受けたことにより、マーロウの生活に彩りが戻り、音楽がふたたび流れはじめるさまが表現されているように思うのですが、どうでしょうか。

気がつくとマーロウと同年代になっていたりして、少しは彼の気持ちがわかるような気になっているのですが、気のせいでしょうか。
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